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わざわざ裁判で審判を下すまでもなく、当然のことなのだが、それがわかっていない連中が多い。機会が平等に与えられ、個々の努力や能力に見合った評価や報酬が得られる、というのが健全な平等主義である。ところが日本の平等主義は、中学生と幼稚園生に同じ量のおやつを等分に分け与えてやるようなものだ。あるいは、それだけの量を食べられない子供に無理やり押しつけるようなものだ。機会だけでなく、結果も何もかも同等に。努力した人間もそうでない人間も同等に……これが、日本の悪しき平等主義である。
学校教育の現場でも、健全な平等主義を教えてこなかった。努力するしないに関わらずみな同等、教師も生徒も同等なのだと教えてきた。その結果、どうなったかといえば、努力せず、義務を行使せず、それでいて権利だけは一人前に主張する人間、目上を尊敬することを知らない人間を増やしてしまった。先日、私と同年代の中間管理職に会う機会があった。彼らも、能力のないやつの開き直りには、相当手をやいているらしい。話はいつのまにか、若い部下に及んだ。「今すぐにでもクビにしたいやつがいるが、オレも会社もそれはできない。お手上げだ」
「仕事を必死に覚えなければならない新入社員が、忙しい時期に平気で休暇をとる。『時期をずらせないか』といったら、『Aさんも休むじゃないですか』ときた。Aは入社10年目でずっと働きづめだった。数年ぶりの有給休暇だ。それと自分とを一緒に考えている。ずうずうしいというか、ものを知らないというか……」私が上司ならば、一発なぐってやりたいところだが、そうしたらそうしたで、「暴力をふるわれるようなことをした覚えはありません」などとぬかすのだろう。
最近、経営者交流会で話をした方から、かなり流行りそうなオイシイ話を聞けました。そのお陰でうちでもそれを新しく始めてみようかって皆楽しみにしてます。
塾や予備校の経営者は、スクールの質を向上させなければなりません。テキストやカリキュラムの質を向上させるのはもちろんですが、採用 講師のスキルも向上させなければなりません。
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親には大学へ進学させるだけの経済力があるが、本人に学力も気力もない。しかたなく大学を諦めて就職する連中が圧倒的多数を占めるようになったのである。何不自由なく育って大学へ進んだものと、高卒で社会人となったもの。後者に骨のある人間が多いというのは、昔の話である。
猫も杓子も大学へいこうとする今、大学進学以外にやりたいことがあったり、経済的理由があったりするならば別だが、多くは箸にも棒にもかからない連中だと思ったほうがいい。象徴的なエピソードがある。予備校には、親に授業料を出してもらい、勉強だけに専念している浪人生と、新聞の販売所に住み込んで新聞配達することで授業料を払ってもらっている浪人生がいる。昔ならば、後者のほうが能力も気力もある学生が多かった。